春画展の話
京都にある細見美術館にて春画と妖怪画の展示が開催されているらしい。そんな催しがあるのかと考えている内に、出かける準備をしている自分に気づく。電車に揺られ、10月にしてはやけに暑いなと感じながらもなるべく影を探して歩く。上着はいらなかったかななどと考えている内に目的地に着いた。
春画展を観に行く客層については検討がつかなかったがなかなか人気らしい。2年前にも開催されていたが好評だったらしく、今回の開催に至ったのだとか。
細見美術館に来たのは初めてだった。現代的な建物で、割とこじんまりとした部屋が3階ほどある。自動扉が開くと、ライティングでいい雰囲気の作品が並んでいる。平日の昼間だからかそれほど混んではいない。意外にもおばさまが多い印象。他にはお兄さんとおじさんの中間くらいの人や紛れも無いおじさんなど。皆一様に絵を観に来ているのだと思うと、そんなに春画が見たかったのかと問うてみたくなったが、自分がそう聞かれても返答に困ると気づき、なんとも言えない気持ちになった。
作品の中には顔が性器で性器が顔で状態になっているものがあったり、作品の解説文にクスッと来たり、なかなか楽しめる内容だった。
エロ画像で触手モノや醜いモノが美しいモノを犯す作品が数多見受けられるが、これは最近発生したアイデアではなく古くからあったものだという驚きが、今回の一番の収穫であろう。あとお土産に買った春画手ぬぐいは人に見せびらかすのが楽しみだ。
なにはともあれ、「こわい」と「わらい」、「性」と「死」というテーマは人間にとって普遍的なモノであり、それゆえ人々の心を掴んで離さないのであろう。
ブログはじめました。
どうも今日からブログをはじめました、トメと申します。
日ごろ考えたり、思ったりすることがあり、自分の中の思考を整理するつもりで書こうと思います。パソコン関係には弱く、また拙い文章なので、コメントなどで指摘していただけると嬉しいです。
と、前置きはこのくらいにして。
現在の日本では働くことは生きていくことと同義という風潮があります。そんな世の中に息苦しさを感じているのは私だけではないだろうと思います。思いますが、なかなか働かずに生きていくことは庶民の私たちにとっては難しいことで、自分の中で割り切って、また考えることを放棄して仕事を続けている人も多いのではないでしょうか。
現在私は無職です。私には今までの仕事を続けていくことができなくなり、また元の職種に戻ることも考えていません。嫌々でも仕事を続けていける人の忍耐力は尊敬しています。自分にはそれができませんでした。
仕事を辞めてから、自分の夢や生き方などについて考えることが多くなりました。自分にできることは何だろう、自分は何がしたいのだろう。さながら思春期の少年少女のような葛藤の中で、嫌な仕事をやめても生きていけることを証明することで、自分と同じような境遇の人に勇気を与えることができたら、
それってステキやん?
と思うに至ったのであります。
これからは無職の日常、これから何をしていくか、おいしい豚キムチの作り方などを小出しに紹介していけたらと思います。